こんな経験はありませんか?
- 写真に映った自分を見て、嫌な気持ちになる
- 失敗すると、「やっぱり自分はダメだ」と決めつける
- 褒められても、「お世辞だろう」と打ち消してしまう
- 「もっと自信を持てば」と言われるほど、つらくなる
「自分を好きになれない」という悩みは、とても苦しいものです。外から見れば十分やっているのに、本人の中ではずっと減点が続いています。
そして、自己肯定感を高めようとすると、多くの場合うまくいきません。自分を褒めようとするほど、「でも自分は」という声が大きくなるからです。
アドラーはどう見た?
アドラーは、人間を全体として見る立場を取りました。部分的な欠点を取り出して「あなたはこうだ」と決めるのではなく、その人の全体を一つのまとまりとして捉えます。
→ 詳しくは全体論とは?
その上でアドラーは、劣等感は誰にでもあると考えました。自分には足りないところがある、という感覚は、人間がより良くあろうとするからこそ生まれます。
問題は、劣等感があることではなく、それを自分全体への否定に変えてしまうことです。
「自己肯定感」と「自己受容」は違う
ここで大切な区別があります。
- 自己肯定感:できている自分、評価できる自分を認める感覚
- 自己受容:できていない自分も含めて、「これが今の自分だ」と受け取る態度
自己肯定感を高めようとすると、条件付きの自分しか好きになれません。条件を満たせない日は、また落ち込みます。
一方、自己受容は条件を必要としません。「できない自分も、今の自分だ」と受け取る構えです。
アドラーの根本前提: 目的論と「自分をどう使うか」
アドラーは、人間を原因ではなく目的から見ます。過去の失敗や環境が「今の自分を決めている」のではなく、今の自分が目的に沿って動いていると考えるのです。
この立場では、「自分はダメだ」という自己評価も、一つの見方にすぎません。しかも、その見方が何かの目的に役立っていることが少なくありません。
→ 詳しくは目的論とは
なぜそうなるのか?
自己否定は「傷つかないための防具」になっている
「自分はダメだ」と思っておけば、失敗しても傷が浅くて済みます。あらかじめ自分を低く評価しておけば、他人からの評価にも耐えられます。
つまり自己否定は、ときに自分を守るための心理学の道具として使われます。
→ 詳しくは心理学の使用とは?
ただし、防具は便利なぶん、動きを鈍くします。挑戦を避ければ、失敗はしませんが、成長もありません。
「好きになれない」の基準が他人にある
自己評価が低い人の多くは、実は基準を他人に預けています。
- 他人より優れているか
- 他人に認められるか
- 他人からどう見られるか
この基準で自分を見ると、たいてい「足りない」という結論になります。比べる相手は無限にいるからです。
→ 詳しくは他人と比較してしまう
完全であることを前提にしている
アドラーは、人間は不完全な存在だと考えました。完全であろうとすること自体が、無理のある前提です。
できないことがあるのは当然であり、それを理由に自分全体を否定する必要はありません。
どう付き合えばいい?
1. 「好きになれない」をそのまま認める
まず、自分を好きになろうと頑張るのをやめます。「好きになれない」と感じている自分を、否定せずそのまま置いておくのです。
「今、自分を好きになれないと感じている」——それだけを認めます。抵抗を減らすことが、最初の一歩です。
2. できていないことだけでなく、していることも数える
自己否定が強いとき、視野はできていないことに固定されています。あえて、やっていることを挙げます。
- 今日、起きて仕事に行った
- 誰かに返事をした
- 苦しい中で、ここまで来た
評価ではなく、事実として数えます。
3. 「条件付きでなく受け取る」練習
自己受容は、条件を外す練習です。
- できたから価値がある、のではなく、生きているだけで価値がある
- 結果が出なくても、取り組んだ事実は消えない
これは開き直りではありません。評価の物差しを、一度手放すということです。
4. 勇気づけの言葉を自分にかける
アドラー心理学は、叱ることでも励ますことでもなく、勇気づけを重視します。勇気づけとは、「そのままで大丈夫」と伝える関わりです。
自分にも同じように語りかけます。
- 「失敗しても、あなたはここにいていい」
- 「今日のあなたで、十分やれている」
→ 詳しくは勇気づけとは?
5. 比較の外に出て、役に立つことをする
評価の物差しから離れる最も実践的な方法が、誰かの役に立つことです。貢献している実感は、優劣とは別のところにあります。
- 誰かを手伝う
- 感謝を伝える
- 小さなことで誰かの負担を減らす
自己受容は、「私には価値がある」と唱えることではなく、価値の源泉を比較の外に移すことでもあります。
→ 詳しくは共同体感覚とは?
