こんな経験はありませんか?
- 同期の年収や役職を聞いて、自分の位置を確かめてしまう
- 友人の結婚や出産の報告に、複雑な気持ちになる
- 他人の努力量と自分の努力量を、無意識に測っている
- 「自分より下」の人を見つけて、ほっとしている
比較は、意識してやめるものではありません。人間の認知は、もともと違いを測るようにできています。危険を見分け、集団の中で自分の位置を知るために、比較は役立ってきました。
問題は、比較そのものではなく、比較が優劣の物差しになったときに起きます。
アドラーはどう見た?
アドラーは、人間には優越を求める傾向があると考えました。これは、劣等感を埋め、より良くなろうとする根源的な力です。
→ 詳しくは優越性の追求とは?
大切なのは、優越の追求そのものは悪くないという点です。人間はこれによって成長し、挑戦し、社会を発展させてきました。
しかし、この力が他者より上に立つことに向かうと、比較と競争が始まります。
アドラーが目指したのは「完全」ではなく「貢献」
アドラーは、優越の追求が健全に働く方向を、他者を打ち負かすことではなく共同体への貢献に置きました。
優れていることより、役に立っていること。この向きの違いが、比較の苦しさを大きく変えます。
→ 詳しくは共同体感覚とは?
なぜそうなるのか?
縦の関係で世界を見ている
アドラーは、人間関係の捉え方に二つの型があるとしました。
- 縦の関係:優劣で人を並べる。上下がある
- 横の関係:対等な存在として協力する
比較して苦しくなるのは、縦の関係を前提にしているからです。縦の関係では、誰かが上がれば自分は下がります。ゼロサムの発想です。
→ 詳しくは縦の関係と横の関係
劣等感を「補償」で埋めようとする
アドラーは、劣等感を埋めようとする動きを補償と呼びました。補償は健全にも不健全にも向かいます。
- 健全な補償:苦手を練習して克服する
- 不健全な補償:他人を下げて、自分を上げようとする
比較が苦しいのは、後者に陥っているときです。他人より上に立っても、安心は長続きしません。次に上に立つ人が現れるからです。
→ 詳しくは劣等感とは?
比較の相手が「自分の外」にある
自己評価を決める物差しが外にあると、評価は相手次第で揺れ動きます。
- あの人よりできる → 安心
- あの人よりできない → 不安
この状態では、自分で自分の価値を決められません。だから比較がやめられないのです。
比較が「動かない言い訳」に使われる
アドラーは、感情や思考は目的に沿って使われると見ました。比較も、ときに行動を避ける口実になります。
「自分には才能がない」「あの人とは環境が違う」——こう考えている間は、行動しなくて済みます。
→ 詳しくは心理学の使用とは?
どう付き合えばいい?
1. 比較している自分を責めない
まず、比較してしまう自分を認めます。比較は認知の自然な働きであり、性格の欠陥ではありません。
「今、比べて落ち込んでいるんだな」と気づく。それだけで、少し距離が取れます。
2. 比べる軸を「優劣」から「学び」へ変える
同じ相手を見ても、問いを変えられます。
- あの人より自分は上か → 縦の問い
- あの人のどこから何を学べるか → 横の問い
相手を脅威ではなく、情報源として見る練習です。
3. 比べる相手を過去の自分に変える
他人との比較を完全にやめるのは難しいものです。ならば、比較の相手を変えます。
- 半年前の自分より、何ができるようになったか
- 昔の自分が今を見たら、何と言うか
これも比較ですが、競争ではなく成長を測る比較です。
4. 「自分は何を大切にしたいか」に立ち返る
比較は、自分の基準が薄いときに強くなります。だから、基準を作ります。
- 自分が大事にしたい価値は何か
- 誰の役に立ちたいか
基準が内側にあれば、他人の位置が自分の価値を決められなくなります。
5. 協力の行動を一つ選ぶ
縦の関係から抜ける最も確実な方法は、実際に協力することです。
- 困っている人を手伝う
- 相手の成功を心から祝ってみる
- 自分の知識を共有する
協力しているとき、人は優劣を競っていません。行動が、関係の質を変えます。
→ 詳しくは嫉妬してしまう
