「依存しない心」——福沢諭吉はこれを「独立の気力」と呼びました。気力、つまり心の持ちようの問題として捉えているのが特徴です。お金や地位があっても、心が誰かに寄りかかっていれば、独立しているとは言えません。
依存は、恐れとへつらいを生む
福沢は『学問のすゝめ』三編で、依存の連鎖をこう描きます。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す、人に依頼する者は必ず人を恐る、人を恐るる者は必ず人に諂(へつら)うものなり。
人に頼りきる → その人を恐れる → へつらう。この流れは、責めるためではなく、構造の説明です。頼らなければ生きられないと思えば、相手の機嫌を損ねまいとする。そして恐れとへつらいが習慣になると、自分で考えることをやめてしまう。
福沢はさらに、「常に人を恐れ人に諂う者はしだいにこれに慣れ……人をさえ見ればただ腰を屈するのみ」と続けます。依存は、いつのまにか人柄を変えてしまうのです。
精神的自立と経済的自立
福沢が言う独立には、二つの面があります。
- 精神的自立:他人の判断に丸ごと従わず、自分で考えて決める
- 経済的自立:自分の生活を、他人の財に頼らず支える
どちらか一方では足りません。経済的に自立していても、心が人の評価に縛られていれば息苦しい。逆に、心は自由でも、生活が誰かに握られていれば、やはり不自由です。
福沢は、学問によってまず経済の力をつけ、同時に判断する精神を鍛える、という順序を考えていました。
「頼るな」ではなく「頼りきるな」
ここは誤解しないでおきたいところです。福沢は、助けを借りることを否定していません。人に学び、人に助けられることは、むしろ必要です。
問題なのは、頼ることを自明の前提にしてしまうことです。助けを借りつつ、最後は自分で立つ。選択の主体を、自分に取り戻しておく。これが独立の気力の中身です。
独立の気力を育てるには
- 小さなことを自分で決める:何を食べるか、どこへ行くかから始めてよい
- 学んで、判断の材料を増やす:無知は、依存の大きな原因になる
- お金の管理を自分でする:経済的自立は、精神的自立を支える
- 自分より大きいものに丸ごと預けない:組織にも、世論にも
