『学問のすゝめ』三編の中心にあるのが、「一身独立して一国独立す」という言葉です。一人ひとりが独立してはじめて、国も独立できる。個人と国家を、この順番で結びつけた考え方です。
国と国は同等である
三編の前半は「国は同等なること」です。福沢は、当時全盛だった帝国主義のただ中で、国と国との権利は平等であると主張しました。
強い国が弱い国を支配してよい、という考えに、まっすぐ異を唱えています。人の間の平等と、国の間の平等を、同じ一つの理で捉えようとしたのです。
独立の気力がなければ、国はもたない
後半が「一身独立して一国独立すること」です。ここで福沢は、国民に独立の気力がなければ、国の独立も守れないと論じます。
国と国とは同等なれども、国中の人民に独立の気力なきときは、一国独立の権義を伸ぶること能わず。
国民が政府に頼りきり、へつらうだけなら、その国は外圧に弱い。逆に、一人ひとりが自分の判断を持ち、自立しているからこそ、国全体も揺るがない。福沢はそう考えました。
依存は、悪事にもつながる
三編には、独立の気力を失うことの危うさが、具体的に書かれています。福沢は「独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり」とも述べています。
自分で考えず、強いものに従うだけの人は、その強いものが誤った方向へ進むとき、いっしょに流されてしまう。主体性のなさは、他人事ではありません。
政府と人民のバランス
福沢は、政府を悪者にしたわけでも、無条件に小さくすべきだと言ったわけでもありません。政府と人民が互いにバランスを取ることが必要だとしました。
人民が自立し、政府を監視し、刺激する。政府もまた、人民をただ従えるだけではいけない。この均衡が、健全な国を作る。『学問のすゝめ』は、国家論であると同時に、市民の自覚を求める書でもあったのです。
現代に引きつけると
- 社会のことを考えるとき、まず「自分は自立しているか」を問う
- 権威や多数に流されず、自分の判断で立つ
- ただし、それは独りよがりではない。他人の独立も尊重する
「国のため」という言葉は、時に個人を抑えつけるために使われてきました。福沢の主張はその逆で、個人の自立が先にあり、国はその結果だという順序を持っています。ここは、彼の思想でもっとも大切な一点です。
