こんな経験はありませんか?
- 学び直したい気持ちはあるが、何から始めればいいか分からない
- 資格やスキルは増えたのに、満たされない
- 年齢を理由に、挑戦をためらってしまう
松陰は、学ぶことの意味を、資格や肩書きではなく、どう生きるかに置きました。
学びは「人のため」ではなく「己のため」
松陰は『講孟余話』で、学問の目的をこう説いています。
凡そ学をなすの要は己が為にするあり。己が為にするは君子の学なり。人の為にするは小人の学なり。
「自分のためにする学問は、しっかりした人の学である。人にほめられるためにする学問は、とるに足らない人の学である」。大人の学び直しが空しく感じるのは、これが人に評価されるための学びになっているからかもしれません。
年齢は関係ない
松陰が本格的に学びを深めたのは、獄中でした。26歳のとき、野山獄で約600冊の本を読み、同じ囚人たちに『孟子』を講じました。
仮令獄中にありとも敵愾の心一日として忘るべからず。苟も敵愾の心忘れざれば、一日も学問の切磋怠るべきに非ず。
「たとえ獄にいても、学問を怠ってはならない」。環境や年齢ではなく、学び続ける意志が問われていました。松陰の学びは、処刑の直前まで続きました。
途中でやめないこと
松陰は、学びにおける最大の禁物を「作輟(やったりやらなかったり)」としています。
学問の大禁忌は作輟なり。
また、続けるための言葉も残しています。
一月にして能くせずんば、則ち両月にして之れを為さん。……之れを為して成らずんば、輟めざるなり。
一か月でできなければ二か月、二か月でできなければ百日。できないからといって、投げ出さない。大人の学び直しで大切なのは、短期間で成果を出すことではなく、細くても続けることです。
何を学ぶかは、自分の「真骨頭」から
何を学べばいいか分からないとき、松陰は自分の特質から始めることを勧めています。
学問は須らく己が真骨頭を求得し、然る後工夫を著くべし。
「自分の真骨頭(本質・持ち味)を見きわめてから、学び方を工夫する」。人と比べて何を学ぶかではなく、自分は何に心が動くか。松陰は、旅や読書で心を動かされることが学びの機会になると考えました。
