こんな経験はありませんか?
- 毎日は忙しいのに、何のために生きているのか分からない
- 目の前のことをこなすだけで、一日が終わる
- 「やりたいこと」を探しても、見つからない
こうした問いに、松陰は「大きな目標を持て」と押しつけるのではなく、自分はどう生きるのかを定めることから始めようとしました。それが立志です。
松陰はどう考えたか
松陰にとって、学問は知識を増やすためではなく、人間はどう生きるべきかを学ぶためのものでした。『松下村塾記』には、こう記されています。
学は人たる所以を学ぶなり。
「学問とは、人間としてどうあるべきかを学ぶことだ」。だから松陰は、何を学ぶかより先に、何のために生きるかを問いました。志が定まらなければ、学びも行動も空回りする——そう考えたのです。
松陰自身の志
松陰は22歳のとき、東北へ遊学した日記の序に、自分の志をこう書いています。
時平らかならば則ち書を読み道を学び、経国の大計を論じ、古今の得失を議す。一旦変起らば則ち戎馬の間に従ひ、敵を料り交を締び、長策を建てて国家を利す。是れ平生の志なり。 — 『東北遊日記』
「平和なときは学び、国を治める大計を論じる。いざ事が起これば戦いに従い、長い策を立てて国に尽くす。これが自分の志だ」。兵学者として、国を守ることを自分の生きる目的にしていたのです。
「大きな志」でなくていい
立志というと、壮大な目標を掲げなければならないように聞こえます。しかし松陰の言う志は、必ずしも立派な肩書きや偉業ではありません。
- 何のために働くのか
- 何を大切にして生きるのか
- 誰のために力を使うのか
こうした問いに、自分なりの答えを持つこと。それが立志の第一歩です。松陰自身、志は一度立てて終わりではなく、学びと行動の中で育てていくものだと考えていました。
どう見つけるか
志は、じっとしていても降ってきません。松陰は、学び、旅をし、人と語り合う中で、少しずつ自分の志を形にしていきました。目の前の関心をたどっていくことが、結果として生きる目的につながります。
もし今、目的が見えないなら、まず「何のために」と問い続けることから始めてみる。松陰の立志は、その問いを手放さないことでもありました。
