孝は、人の道の始まり
孝は、親を大切にする心と行いを指します。孔子の弟子の有子は、こう述べました。
其の人と為りや孝弟にして上を犯すことを好む者は、鮮し。(学而第一・2章)
親や年長者を大切にする人は、目上の者に逆らうことが少ない。孝は、人が社会で生きていく土台として位置づけられました。
養うだけでは足りない
孔子の孝の教えで、最も鋭いのはここです。
今の孝は、是れ能く養ふを謂ふ。犬馬に至るまで、皆能く養ふあり。敬せずんば、何を以てか別たん。(為政第二・7章)
今の人は、親に食物を与えることを孝だと思っている。しかし犬や馬にも、人は世話をする。敬意がなければ、何の違いがあるのか。
世話と、敬意。孔子はその二つを、はっきり分けました。形だけの世話は、孝ではないのです。
難しいのは「心」
弟子の子夏が孝を尋ねたとき、孔子は答えました。
色難し。(為政第二・8章)
難しいのは、いつもよい表情で接することだ、という意味です。用事をすませ、食事を用意するのは、それほど難しくない。難しいのは、態度と心で向き合うことなのです。
「無違」の意味
孝について問われた孔子は、「無違(たがはざれ)」と答えました。
生けるときは之に事へ、死するときは之を葬り、之を祭るに礼を以てせよ。(為政第二・5章)
違えない、とは、単に従うことではありません。生きている間は礼をつくして仕え、亡くなった後も礼をもって葬り、祭る。生涯を通じて、礼を絶やさないことなのです。
誤解しやすい点
- 絶対服従という誤解:孔子は、親を諫めることも説いています。ただ、やり方を重んじました
- 形だけの世話という誤解:孔子が重んじたのは、敬う心でした
- 関係の原点という誤解:孝は、身近な人を大切にすることから始まる、関係の出発点です
日常でどう使うか
親に限らず、身近な人への接し方を振り返ってみる。用を足すだけでなく、心を添える。言葉づかいと表情に、敬意をのせる。
孝は、特別な行事ではなく、日々の接し方の中にあります。身近な人を大切にすることが、人と関わる力の土台になります。
