仁は、『論語』で最も多く語られる語です。弟子たちが繰り返し尋ね、孔子はそのつど答えました。
あるときは「人を愛することだ」と。あるときは「自分を克めて礼に戻すことだ」と。答えはばらばらに見えます。
けれど、根にあるのは一つです。人を思いやる心。それが仁です。
相手によって変わる答え
同じ「仁とは何か」という問いに、孔子は違う答えを返しています。代表的なものを挙げます。
- 顔淵(がんえん)に対して:「己れを克めて礼を復むするを仁と為す」(顔淵第十二・1章)
- 仲弓(ちゅうきゅう)に対して:「己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」(顔淵第十二・2章)
- 樊遅(はんち)に対して:「人を愛す」(顔淵第十二・22章)
- 司馬牛(しばぎゅう)に対して:「言を訒しむ」(顔淵第十二・3章)
顔淵には克己復礼を、仲弓には思いやりを、樊遅には人を愛することを、司馬牛には口を慎むことを。同じ仁でも、相手の課題に応じて言葉が変わります。
これは、仁が一つの決まった行いではないことを示しています。その人の置かれた場所で、仁の形は変わるのです。
仁は遠くにない
仁は、特別な人が到達する境地ではありません。孔子はこう言います。
仁は遠からんか。我仁を欲すれば、斯に仁至る。(述而第七・29章)
仁は遠いところにあるのか。いや、自分が仁を求めれば、そこに仁はやってくる。志したその瞬間から、仁は始まっているというのです。
だから孔子は、自分を仁者と呼べるかと問われて、簡単にはそう言いませんでした。仁は到達点ではなく、向かい続ける方向だからです。
仁に近づく人、遠ざかる人
孔子は、仁に近い人と、そうでない人の特徴も語っています。
巧言令色、鮮なしに仁。(学而第一・3章)
口先がうまく、愛想だけよい人に、仁は少ない。言葉より、行いと心です。
剛毅木訥、仁に近し。(子路第十三・27章)
意志が強く、素朴で、口数が少ない人。そういう人は仁に近い。飾らない人のほうが、人を思う心を持ちやすいというのです。
誤解しやすい点
- 聖人だけのものという誤解:仁は特別な人だけのものではありません。誰でも志せば始められます
- 優しければよいという誤解:孔子は、ただ優しいだけでなく、正しさを貫くことも重視しました。仁は甘さではありません
- 一つの行動という誤解:仁は行為の一覧ではなく、その人がどう生きるかという姿勢です
日常でどう使うか
身近なところでは、まず「これは相手にとってどうか」と一度考えること。これが恕であり、仁の入口です。
口数が少なくても、素朴でも、かまいません。むしろ孔子は、そういう人を仁に近いと評価しました。
毎日、人と接するたびに、ほんの少し相手の立場に立つ。仁は、そういう繰り返しの中にあります。遠い理想ではなく、今日の一歩です。