こんな経験はありませんか?
- 「やりたいこと」を探しても、しっくりくるものが見つからない
- 人の志を聞くと、自分が空っぽに思える
- 何かを始めても、続かずに終わってしまう
志が見つからないのは、意志が弱いからではありません。問いの立て方がずれているだけかもしれません。
志は「探す」より「気づく」
松陰は、志を外から与えられるものとは考えませんでした。自分の関心や心の動きの中から見つけ、育てていくものだと考えていました。そのための手がかりが、『講孟余話』に残っています。
学問は須らく己が真骨頭を求得し、然る後工夫を著くべし。
「学問はまず自分の真骨頭(本質・持ち味)を見きわめて、それから工夫すべきだ」。真骨頭とは、その人らしさ、心が動く核のようなものです。何を学ぶか・何を志すかは、他人と比べるのではなく、自分の中のこの核から見つけていく。
心が動いた瞬間をたどる
松陰自身、志は最初から決まっていたわけではありません。九州へ、江戸へ、東北へと旅をし、人と語り、書を読む中で、少しずつ形にしていきました。
東北遊学の日記の序には、自分の志をこう記しています。
時平らかならば則ち書を読み道を学び、経国の大計を論じ……一旦変起らば則ち戎馬の間に従ひ、敵を料り交を締び、長策を建てて国家を利す。是れ平生の志なり。 — 『東北遊日記』
「平和なときは学び、いざ事が起これば国のために尽くす」。これは壮大な志ですが、松陰が最初からこれを掲げていたのではなく、旅と学びの中で確かめていったものでした。
だから、やりたいことが見えないときは、大きな答えを探すより、心が動いた瞬間をたどるのが近道です。
- 最近、時間を忘れて夢中になったことは何か
- 誰かの役に立って、うれしかったのはどんなときか
- 昔から気になっているのに、避けていることはないか
「大きな志」でなくていい
立志というと、立派な目標を掲げなければならないように聞こえます。しかし松陰の言う志は、必ずしも壮大である必要はありません。
- 何のために働くのか
- 何を大切にして生きるのか
- 誰のために力を使うのか
こうした問いに、自分なりの答えを持つこと。それが立志の第一歩です。志は一度立てて終わりではなく、学びと行動の中で育てていくもの。小さく始めて、行動しながら太くしていけばよいのです。
志が動き出すとき
松陰は、志さえ立てば、人は自分から学び始めると信じていました。松下村塾で「教える」より「ともに学ぶ」姿勢をとったのも、そのためです。
逆に言えば、志が見つからないときは、まだ行動が足りていないだけかもしれません。何かを学び、誰かと語り、小さく試してみる。その中で、志は輪郭を持ち始めます。
