中庸とは
中は「かたよらない」、庸は「常」「用いる」を意味します。中庸とは、偏らず、いつも適切なところを行うこと。過不足のない一点を選び続ける姿勢です。
孔子は、中庸を最も高い徳としました。
中庸の徳は、それ至れるかな。民の能く久しうする鮮し。(雍也第六・27章)
中庸の徳は、なんと優れたものか。しかし、人々がそれを長く保つことは少ない。難しいからこそ、最も高い徳なのです。
どっちつかずではない
中庸を、優柔不断や無原則と取り違えてはいけません。
どっちつかずは、決められないだけです。中庸は、状況を見て、いま最もふさわしい一点を自ら選ぶこと。場合によっては、はっきり一方に立つことも含みます。
孔子は、過ぎたるも足らざるも同じように戒めました。子貢が「師(子張)と商(子夏)は、どちらが優れていますか」と尋ねたとき、孔子はこう答えました。
過ぎたるは猶ほ及ばざるがごとし。(先進第十一・16章)
やりすぎも、足りなさも、よくない。極端は、どちらに転んでも外れる。だから真ん中を探すのです。
時の中
中庸の「中」は、決まった中心ではありません。時代や場面によって、適切な点は動きます。これを「時中(じちゅう)」といいます。
同じ行動でも、この場では正しく、別の場では外れる。だから孔子は、決まりを機械的に当てはめることをしませんでした。状況を見て、適切さを測る。そこに判断の難しさがあります。
中と和
『中庸』という書物は、この考えをさらに進めます。
喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う。発して皆節に中る、之を和と謂う。(『中庸』)
感情がまだ表れていない状態が「中」。感情が表れて、しかもすべて節度にかなうのが「和」。中と和を大切にすれば、すべてがうまく運ぶ、と説きます。
中庸は、感情を殺すことではありません。感情を持ちながら、それを適切に表すことなのです。
誤解しやすい点
- 優柔不断という誤解:中庸は決められないことではなく、最適点を選ぶことです
- 無原則という誤解:状況に応じることは、節操がないことではありません
- 感情を抑えることという誤解:中庸は感情を持たないことではなく、表し方を整えることです
日常でどう使うか
腹が立ったとき、すぐに言い返すのも、じっと我慢してため込むのも、どちらも極端です。少し間を置いて、何を、いつ、どう伝えるかを選ぶ。それが中庸です。
仕事でも同じです。頑張りすぎても、手を抜いても、長くは続きません。その場にふさわしい加減を、自分で見つける。中庸は、日々の調節の技術です。