死生観とは
死生観とは、生と死をどう捉えるかという考え方です。死を遠ざけて目をそらすのか。それとも、死があるからこそ生の意味を考えるのか。松陰の死生観は、後者に近いものでした。
『留魂録』とは
『留魂録』は、松陰が処刑される直前の安政6年(1859)10月25日から26日にかけて、獄中で松下村塾の門下生に宛てて書き上げた遺書です。門下生の間で書き写されて読み継がれ、松門の志士たちの行動の源になりました。
冒頭に置かれたのが、よく知られる辞世の短歌です。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 — 『留魂録』
「たとえ武蔵の野辺に朽ちても、大和魂は留め置こう」。死を悲観するのではなく、志を後に残すという視点が感じられます。
人生を四季にたとえる
『留魂録』で松陰は、人生を春夏秋冬にたとえました。春に種をまき、夏に育て、秋に刈り取り、冬に蓄える——人の一生にもそれぞれの季節がある。だから自分は三十歳で、すでに四季を備え、花を咲かせ実をつけた、と。
義卿三十、四時己に備わる、亦秀で亦実る……同志の士其の微衷を憐れみ継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず — 『留魂録』第八節
死を目前にしながら、自らの三十年の生を「実りの時」として受け止めている。ここには、生を悔いず、死を恐れずという落ち着きがあります。
死を恐れず、賛美もしない
松陰の死生観で重要なのは、死を美化していない点です。松陰は30歳のとき、高杉晋作への手紙にこう書いています。
死は好むべきにも非ず、亦悪むべきにも非ず、道尽き心安んずる、便ち是れ死所。
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
死は求めるものでも、忌み嫌うものでもない。なすべきことを成し遂げて心が安んじるなら、それが死に場所になる。しかし、生きて大きな志を果たせるなら、生きる。死に急がず、生に執着しないという、冷静な構えです。
『留魂録』にこめられた願い
『留魂録』の最後には、同志への願いが短歌で残されています。
討たれたる吾れをあはれと見ん人は君を崇めて夷払へよ
七たびも生きかへりつつ夷をぞ攘はんこころ吾れ忘れめや
「私を哀れに思う人は、天皇を崇めて外敵を払ってほしい」「七度生まれ変わっても外敵を払う心は忘れない」。死の直前であっても、志は自分の死では終わらないと考えていました。託す相手がいること——それが松陰の死の受け止め方を支えていました。
現代に生きる私たちへ
死や別れを考えるのは、重いことです。松陰の死生観は、それを明るくするものではありません。ただ、今日をどう生きるかと死の見方は、つながっていることを示しています。
やり残したことがあるから死が怖い。ならば今日をていねいに生きる。松陰の四季のたとえは、その積み重ねを肯定する言葉です。
