萩という町
萩は、山口県の北西部にある城下町です。江戸時代、毛利氏の長州藩の本拠地でした。松陰は1830年、萩城下の松本村(現在の萩市椿東)に、下級藩士・杉百合之助の次男として生まれます。
町には、松陰の生涯にゆかりのある場所が、互いに歩いて回れる距離に集まっています。幕末維新の「ふるさと」として、多くの人が訪れる場所です。
誕生地と墓所――団子岩
松陰の誕生地は、萩市内を見渡せる「団子岩」とよばれる高台にあります。近くには、海外密航を企てた松陰と金子重之輔の銅像が立っています。
誕生地に隣接する吉田家墓地には、松陰の墓があります。松陰の死後、杉家が百か忌を営み、高杉晋作や久坂玄瑞ら門下生のほとんどが参列して、遺髪を埋葬し、墓碑を建てました。表には「松陰二十一回猛士墓」と刻まれています。
幽囚の旧宅――杉家
松陰が幽閉され、講義を行ったのが、実家・杉家の旧宅です。1855年、野山獄から出獄した松陰は、この邸内の3畳半の一室に幽囚されました。
ここで家族や近所の子弟に講義を行ったことが、やがて松下村塾の教育へと発展していきます。旧宅は当時のまま残されており、世界文化遺産の構成資産にもなっています。
松下村塾
松下村塾は、松陰神社の境内に現存しています。移築されたものではなく、当時からこの位置に建っていた建物です。八畳一間から始まった小さな塾で、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山縣有朋らが学びました。
もともとは叔父・玉木文之進が開いた私塾で、松陰が名を継いだのは1857年頃。指導期間は2年あまりでした。2015年、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産に登録されています。
松陰神社
松陰神社は、明治23年(1890)、杉家が松下村塾の西側に私祠を建てたのが始まりです。明治40年(1907)には、松下村塾の出身者・伊藤博文や野村靖らが中心となって、県社として創建されました。
境内には松下村塾のほか、幽囚の旧宅があります。隣接する宝物殿「至誠館」や歴史館では、松陰の生涯と資料を見ることができます。学問の神として信仰を集め、正月には多くの参拝者が訪れます。
藩校・明倫館と城下町
松陰が9歳で教授見習いになり、11歳で藩主の前で講義をしたのが、藩校明倫館です。現在の明倫小学校の敷地に、建物の一部が残されています。
萩の城下町には、武家屋敷や白壁の町並みが残り、萩城跡(指月公園)、毛利家の菩提寺・東光寺など、幕末維新の史跡が点在します。松陰の足跡をたどるなら、萩は一日では足りないほど見どころがあります。
