孔子の著書ではない
まず押さえておきたいのは、『論語』は孔子が書いた本ではないという点です。
孔子が自分で著した書物は残っていません。『論語』は、孔子の死後、弟子たちやその弟子たちが、師の言葉と行いを書きとめて編んだ言行録です。書かれたのは、孔子の生前ではありません。
だから『論語』には、孔子の言葉だけでなく、弟子の問いや答え、弟子同士のやりとりも収められています。
全二十編・約五百章
現在読まれている『論語』は、二十の編からなります。
- 学而(がくじ)第一から堯曰(ぎょうえつ)第二十まで
冒頭の十編を上論(じょうろん)、後の十編を下論(げろん)と呼びます。全体では、およそ五百の短い章でできています。
それぞれの編名は、本文の冒頭の語から取られることが多いものです。たとえば学而第一は、「子曰く、学びて時に之を習ふ」という一文で始まります。
成立 ― 弟子たちが編んだ
『論語』がいつ、誰の手でまとめられたかは、はっきりしていません。
孔子の没後、数世代にわたって伝えられ、戦国時代の末から前漢の初めごろにかけて、いまの形に近づいたと考えられています。
前漢のころには、魯論(ろろん)・斉論(せいろん)・古論(ころん)という三つの系統がありました。のちに後漢の鄭玄(じょうげん)がこれらを整理し、さらに魏の何晏(かあん)の『論語集解』、南宋の朱熹(しゅき)の『論語集注』を経て、広く読まれるようになります。
朱子は『論語』を『大学』『中庸』『孟子』とあわせて四書とし、儒学の基本としました。ここから『論語』は、東アジアの教育の中心に置かれることになります。
何が書かれているか
内容は、多岐にわたります。
- 仁・礼・君子といった、人としての在り方
- 学ぶこと、考えること
- 親への孝、友との信
- 政治と為政者の心構え
- 弟子たちの人物評や、孔子自身の生き方
多いのは、「子曰く」(先生が言われた)で始まる短い言葉と、弟子の問いに孔子が答える場面です。
「一貫しない」ことが持ち味
『論語』を読み進めると、同じ問いに対して、孔子が違う答えを返している場面に出会います。
弟子の性格や立場に応じて、答えを変えているのです。だから表面だけを追うと、教えが一貫していないように見えることがあります。
しかし、そこにこそ『論語』の面白さがあります。切り取られた言葉の向こうに、相手を見て語る孔子という人物が見えるからです。
読み方
『論語』は、初めから終わりまで通読する哲学書ではありません。むしろ、一章ずつ立ち止まって味わう読み方に向いています。
学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。(学而第一・1章)
学んだことを、折にふれて繰り返し行う。なんと喜ばしいことか、という一文です。暗記するためではなく、自分の経験に照らして読む。そのほうが、長く付き合えます。