『中庸』とは
『中庸』も、もとは『礼記』の一篇でした。朱熹が取り出して、四書の一つとしました。
かつては子思(孔子の孫)の作と伝えられましたが、現在では成立には諸説あります。内容は、中庸という徳を、天と人の関係から深く掘り下げます。
天命と本性
冒頭は、人間の本性を天に結びつけます。
天の命ずる、之を性と謂ふ。性に率(したが)ふ、之を道と謂ふ。道を修むる、之を教と謂ふ。(『中庸』第一章)
天が命じたものが、人の本性。その本性に従う道が、人の道。その道を修めるのが、教え。
人の生きる道は、外から押しつけられた規則ではなく、天から与えられた本性に根ざしている。ここが出発点です。
中と和
次に、感情と適切さが説かれます。
喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ふ。発して皆節に中(あた)る、之を和と謂ふ。中は天下の大本なり。和は天下の達道なり。(『中庸』第一章)
感情がまだ表れない状態が「中」。感情が表れて、それがすべて節度にかなうのが「和」。中は天下の根本、和は天下の通じる道です。
中庸は、感情を抑え込むことではありません。感情を持ちながら、それを適切に表すこと。ここが、しばしば誤解される点です。
誠
『中庸』の後半は、誠を中心に展開します。
誠は天の道なり。誠を誠にするは、人の道なり。(『中庸』第二十章)
誠は天の道であり、その誠を自ら実現するのが人の道。誠とは、自分をごまかさず、あるがままに真実であること。
『中庸』は、この誠を、学びと実践の究極に置きます。中庸というと地味な徳に見えますが、その根には、天に通じる誠があります。
誤解しやすい点
- 無難に生きることという誤解:中庸は、状況に応じた最適点を選ぶことです
- 感情を殺すことという誤解:感情を適切に表すことが「和」です
- 単なる処世術という誤解:天と本性に根ざした、深い人間観があります
日常でどう使うか
腹が立ったとき、すぐ反応するのでも、抑え込むのでもなく、適切な表し方を探す。それが「和」への一歩です。
そして、ごまかさず正直に生きる。地味ですが、それが天に通じる道だと『中庸』は言います。
