紀元前5世紀ごろのインド北部。まだ統一国家がなく、多くの小国がひしめいていた時代です。ゴータマ・ブッダは、ヒマラヤのふもと、釈迦族(しゃかぞく)の小さな国の王子として生まれました。生まれた地は、今のネパール南部ルンビニーにあたるとされます。
本名はゴータマ・シッダールタ。ゴータマは姓、シッダールタは「目的を達成した人」という意味の名です。のちに「目覚めた人」を意味するブッダ(仏陀)と呼ばれ、中国語訳を通して日本では釈迦(しゃか)とも呼ばれるようになりました。
生い立ち
母のマーヤー(摩耶夫人)は、彼を産んで七日後に亡くなります。育てたのは母の妹、マハーパジャーパティでした。父はシュッドーダナ(浄飯王)で、王子は城の中で何不自由なく育てられます。
伝承では、城の外の苦しみを見せまいと、父が三つの宮殿を用意したといわれます。若くしてヤショーダラー(耶輸陀羅)と結婚し、息子ラーフラ(羅睺羅)をもうけました。
しかし、満たされた暮らしの中で、彼はある問いを手放せませんでした。このまま何も知らずに、老いと病と死を迎えていいのか、という問いです。
四門出遊 ― 家を出る
伝承に残るのが「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の話です。城の四つの門から外へ出るたび、彼はそれぞれ違う姿に出会います。
- 年老いて背を曲げた人
- 病に苦しむ人
- 運ばれていく死者
- 静かに托鉢を歩く修行者
老いも病も死も、自分にも必ず訪れる。その事実の前で、王子の暮らしは色を失います。そして、修行者だけがその問いに答えを探しているように見えました。
二十九歳のころ、彼は妻子と城を後にします。これを出家(しゅっけ)といいます。
苦行と、その放棄
出家した彼は、まず二人の瞑想の師につき、深い境地へ入ります。しかしそれでも、苦しみの根本は解けないと感じ、さらに厳しい道へ進みます。
後年、彼自身が語ったとされるのが、極端な苦行の日々です。呼吸を止め、ほとんど食べず、骨と皮だけになっていく。五人の修行者とともに、死にかけるまで身を削りました。
けれど、悟りは訪れませんでした。そこで彼は気づきます。体を壊すまで苦しめることも、贅沢に浸ることも、どちらも極端であると。彼は苦行を捨て、食べ物をとって体力を戻します。失望した五人の仲間は去っていきました。
これが、のちの中道の出発点です。
成道 ― 菩提樹の下で
体力を取り戻した彼は、ブッダガヤーの菩提樹の下に座り、こう決めます。悟りを得るまで、この座を立たない。
そして瞑想の末、三十五歳のころ、ついに悟りを開きます。何が苦しみを生み、どうすればそれが止むのか。その全体が、ひとつの理解として開けたのでした。この出来事を成道(じょうどう)といいます。
初転法輪 ― 説法を始める
悟った彼は、しばらくその場にとどまり、この教えはあまりに深く、人に伝わらないのではないかと思いました。しかし、かつて苦行をともにした五人の仲間の顔が浮かびます。
彼は遠く離れたサールナートまで歩き、その五人に最初の説法を行います。四諦と八正道を説いたこの説法は、初転法輪(しょてんぽうりん)と呼ばれます。五人は教えを受け入れ、最初の弟子となりました。
四十五年の教化
その日から、彼の歩みが始まります。八十歳で亡くなるまで、およそ四十五年。ガンジス川流域の各地を歩き、身分の高い者も、貧しい者も、王も、商人も、農民も、同じように教えを説きました。
決まった聖典の言語にこだわらず、相手の言葉で語ったとされます。教団(僧伽)には、弟子が次第に集まりました。舎利弗(しゃりほつ)や目連(もくれん)のように聡明な者、阿難(あなん)のように長く側に仕えた者、マハーカッサパ(摩訶迦葉)のように厳しい修行を重んじた者。彼らが、のちに教えを結集して残すことになります。
入滅
八十歳のころ、彼はクシナガラで体調を崩します。そして、二人の沙羅の木の間に横たわり、最後の教えを残して静かに息を引き取りました。これを入滅(にゅうめつ)、あるいは般涅槃(はつねはん)といいます。
最後の言葉として伝えられるのは、こういう趣旨のものです。
すべてのものは移り変わり、壊れていく。怠ることなく、よく努めなさい。
生涯から学べること
ブッダの生涯には、奇跡も、地位の復権も、富の獲得もありません。あったのは、避けられない苦しみから逃げずに、その仕組みを見つめ切ったことです。
王子の身分を捨て、極端な苦行さえ捨てました。何かを極めるのではなく、どちらの極にも寄らないことを選び取ったところに、この生涯の特徴があります。
