『自省録』を読みたいと思って手に取ったのに、最初の数ページで止まってしまった。そんな経験を持つ人は少なくありません。
理由ははっきりしています。『自省録』は物語ではなく、ローマ皇帝が自分自身に宛てて書いた私的な記録だからです。読者に向けて構成された本ではないのです。
だから、読み方にもコツがあります。最初から最後まで順に読む必要はありません。
翻訳ごとに個性があり、自分に合う一冊を選ぶことも大切です。難しく感じたら、それはあなたの読み方が悪いのではなく、本の性格によるものです。
この記事では、主な日本語訳の特徴と、無理なく読み進める方法を紹介します。急がず、長く付き合う一冊として付き合っていくための案内です。
まず知っておきたい『自省録』の性格
訳を選ぶ前に、この本の性格を押さえておきましょう。
- 全12巻、ギリシア語で書かれています。ラテン語ではありません。
- 皇帝が戦地の陣営などで、自分自身のために書き留めた私的な記録です。発表を目的としていません。
- 体系立った哲学の教科書ではありません。同じ主題が、角度を変え何度も現れます。
- 短い断章の集まりです。前後の文脈が少なく、唐突に見える箇所もあります。
- 怒り、死、他者、自然、時間など、テーマが繰り返し登場します。
つまり、小説のように「続きが気になる」種類の本ではありません。むしろ、開いたページの一文を拾って、しばらく考える。そういう付き合い方に向いています。
全体を通して一つの主張があるというより、同じ問いへの日々の応答が積み重なっている本なのです。
この性格は、読み手にとっては難しさにも、ありがたさにもなります。難しさは、順に読んでも話が進まないこと。
ありがたさは、どこを開いても、そのときの自分に必要な一文に出会える可能性があることです。
最初から理解しようと気負わず、気になった一文とだけ向き合う。そのくらいの気持ちで十分です。
もう一つ、大切なことがあります。『自省録』には、読者を説得しようとする語り口がほとんどありません。
あるのは、自分への励まし、戒め、なだめです。だから、命令される感じが少なく、読む人それぞれが自分の言葉として受け取りやすい。
教科書を読むのではなく、先輩の独り言を隣で聞くような距離感です。この距離感が、長く付き合える理由の一つです。
また、『自省録』という題名自体が後世のもので、原題は「自分自身へ」という意味だと言われています。この由来を知っていると、この本が誰かに読ませるための書物ではなく、自分に宛てたものだということが、より実感できます。
→ 詳しくは『自省録』とは何か
主な日本語訳と特徴
現在、手に入りやすい主な訳には、次のようなものがあります。どれか一つを正解と考える必要はありません。
訳を選ぶのに迷ったら、まずは定番の神谷訳から始め、物足りなくなったら構造重視の鈴木訳や注解つきの水地訳へ、という順で構いません。複数の訳を読み比べると、同じ原文でも印象が変わることを実感できます。
選ぶときの観点は、三つあります。一つは読みやすさ、一つは正確さ、一つは注や索引の充実度です。
読みやすさを取れば超訳や入門書、正確さと構造を取れば鈴木訳や水地訳。両方を手元に置いて、場面で使い分けるのもよい方法です。
神谷美恵子訳(岩波文庫)
半世紀以上読み継がれてきた定番の現代語訳です。原語ギリシア語からの訳で、格調のある日本語として知られています。
最初の一冊として最も選ばれやすく、引用にもよく使われます。「まずはこれ」という一冊です。
ただし、訳が古い分、やや硬いと感じる人もいます。読みにくければ、まず超訳で内容に親しんでから、神谷訳に戻る、という順でも構いません。
定番だからといって、無理に最初から読む必要はないのです。
鈴木照雄訳(講談社学術文庫)
原文の構造を丁寧にたどれる訳です。注と索引が充実しており、どの章に何が書かれているかを確認しやすい。巻・章を意識して読む人、出典を確かめたい人に向いています。
水地宗明訳(京都大学学術出版会・西洋古典叢書)
詳細な注解がついた本格的な訳です。学術的に読みたい人、原文の背景や語の意味まで知りたい人向けです。
入門の最初の一冊というより、二冊目以降に向きます。
超訳系・入門書
ディスカヴァー系の超訳や、岸見一郎による入門(NHK出版など)は、読みやすく、現代語のリズムで書かれています。全体の雰囲気をつかむには向いています。
ただし、原文から離れた要約・意訳を含むため、名言の検証や正確な引用には向きません。原典訳と併せて使うのがよいでしょう。
なお、電子書籍で読む場合は、巻・章の番号が紙の本とずれることがあります。引用や検証をするなら、巻・章が明記された版を選ぶと安心です。
どの訳にも一長一短があります。大切なのは、自分が読み続けられる一冊を選ぶことです。
訳の違いに悩むより、まず一冊を開いてしまうほうが、先に進みます。
通読より「テーマ読み」
『自省録』は、通読を目指さなくて構いません。むしろ、通読しようとすると挫折しやすい。
順番に意味が見えにくく、同じ内容が散らばっているからです。
代わりに勧めたいのがテーマ読みです。関心のある一つのテーマを決めて、それに関する箇所を拾っていく読み方です。
- テーマを一つ決める(例:怒り、死、時間、他者)
- 目次や索引から、関係しそうな巻を探す
- 気になった断章に印をつけ、書き留める
- 数日後、また同じテーマの別の箇所を読む
アウレリウス自身が、同じ考えを何度も自分に言い聞かせていました。彼にとって『自省録』は、繰り返し立ち返る場所でした。
読むときも、繰り返し立ち返る読み方が自然に合います。
テーマは、自分が今いちばん引っかかっていることを選ぶのが一番です。怒りなら怒り、死なら死。関心が強いテーマほど、同じ言葉が何度も心に触れます。
テーマは一冊のなかで変えていってよいものです。今月は怒り、来月は死、というように、その時の関心に合わせて動くことで、同じ本が何度も新しい顔を見せます。
テーマ読みには、副次的な効果もあります。同じテーマの箇所を追ううちに、アウレリウスが何度も同じ結論に戻っていることに気づきます。
彼が本当に手放せなかった悩み、繰り返し立ち直ろうとした課題が見えてくるのです。これは、通読では得にくい発見です。
「巻.章」の意味と使い方
『自省録』の言葉は、「第○巻 第○節」(例えば「6.6」)という形で場所を示します。これは引用するときの共通の住所です。
- どの言葉がどの巻のどこにあるかを、誰でも確認できる
- 訳本が違っても、番号をたどれば同じ箇所にたどり着ける
- ただし、訳や底本によって番号が多少ずれることもある
名言を検証したいときは、この番号を手がかりに、手元の訳本を開きます。番号がない名言は、まず注意して見る。
この習慣が、確かな読書につながります。
また、巻によって性格の違いもあります。第1巻は、自分が学んだ人々への感謝を並べた特別な巻です。第2巻以降は、断章が続きます。
巻ごとの空気の違いを知っておくと、読みやすくなります。
慣れてきたら、気に入った言葉の番号をメモしておくのも楽しいものです。自分だけの名言リストができ、必要なときにすぐ取り出せます。
→ 詳しくは名言の検証 ― 本当にアウレリウスの言葉か
おすすめの読み進め方
最後に、負担の少ない進め方を提案します。
- 入門書か超訳で、全体の雰囲気をつかむ。 まず「どんな本か」を知ると、次が楽になります。
- 神谷訳か鈴木訳を手に入れる。 通読はせず、目次を見て気になるテーマから開きます。
- 一度に少しだけ読む。 一日一つ、短い断章で十分です。読み終えることを目的にしない。
- 気になった言葉を写す。 ノートでもメモでも。アウレリウス自身がそうしたように、自分の言葉に置き換えます。
- このサイトの各記事で深掘りする。 テーマごとに背景と実践を整理しています。
- 必要になったら、水地訳や原典に当たる。 もっと正確に知りたくなったときで構いません。
大切なのは、読了することではなく、必要なときに開ける一冊にすることです。手元に置いて、折に触れて数ページ読む。
その付き合い方こそ、この本に最もふさわしい読み方です。
通勤や就寝前など、決まった時間に少しずつ読むのも向いています。一度にたくさん読むより、一日一つを長く噛みしめるほうが、この本には合っています。
読んだ日付を余白に書き込むと、数年後に自分の変化まで読み返せる、自分だけの一冊になります。
最初から完璧に読もうとする必要はありません。むしろ、読み残しや読み飛ばしがあって当然です。それでも、繰り返し開くうちに、少しずつ自分のものになっていきます。
→ 詳しくはマルクス・アウレリウスの生涯
よくあるつまずきと、その乗り越え方
『自省録』でつまずくポイントは、いくつか共通しています。
- 難しい言葉が多く、頭に入らない:最初から理解しようとしないことです。分からない一文は飛ばし、心に引っかかった一文だけを拾います。数ページ読めば、一つは引っかかるはずです。
- 同じ話の繰り返しに見える:繰り返しは、アウレリウスが同じ課題を抱え続けた証拠です。退屈ではなく、人間らしさとして読むと、味わいが変わります。
- どこから読めばいいか分からない:目次や索引から、今の自分に関係する言葉を探します。テーマを一つに絞れば、迷いません。
- 読んでも行動が変わらない:読むことと実践することは別です。一つだけ、今日試すことを決めてみてください。変化は、量より回数から生まれます。
- 途中で飽きてしまう:飽きるのは自然です。数か月置いて、また戻ってくればよい。長期の付き合いを前提にすれば、途切れても問題ありません。
- 原文ではどう書かれているのか気になる:まずは手元の訳で十分です。どうしても確かめたくなったら、巻・章を頼りに別の訳を当たります。
- 読む時間が取れない:一分でも構いません。短い断章なら、一行で完結していることもあります。時間の長さより、開く習慣のほうが大切です。
つまずくのは、読む力が足りないからではありません。この本が、読み切るための本ではないからです。
立ち止まりながら付き合うのが、本来の読み方です。
